吉田松陰の愛弟子、入江九一の生涯。
2015/05/04
こんばんは親父です。
今日は、
松下村塾四天王の一人、
入江九一
いりえ くいち
の事を知っておきたいと思う。
萩にて誕生〜松下村塾入塾
1837年・天保8年生まれ。萩藩士。
称は杉蔵など。下級武士(足軽)の家に生まれる。のち、明治政府の政治家となる野村靖(和作)は実弟。
はやくに父を亡くし、下働きをして家計を助けながら学問に励む。そのため先に弟が松下村塾に入塾後、九一も入塾したという。
かなりの苦労人だったんですね。
吉田松陰の絶大な信頼を受けた過激実行部隊へと成長
入塾後は吉田松陰の約一ヶ月程の尊王攘夷思想
マインドセット
を受け、めきめき頭角を現します。
それからは、弟と共に過激活動に走って行きます。
江戸幕府の大老・井伊直弼が米国と結んだ日米修好通商条約に激怒した松陰先生。
松陰先生は、井伊直弼の片腕である老中・間部詮勝を襲撃するために長州藩に大砲の貸し出しを要求するという暴挙にでますが
周布政之助らにより阻止され、吉田松陰は野山獄に投獄。
松下村塾四天王と呼ばれる吉田稔麿、久坂玄瑞、高杉晋作は松陰の過激行動に反対するも入江九一だけは愚直なまでに松陰の意思に従おうとした。